相手を知ることで、距離が縮まる。ジョハリの窓から学ぶ

昨日ご縁があり、飛騨高山に泊りで行ってきました。京都と似ていて歩くだけで楽しい街です。街並みの一角に雰囲気がとてもいい老舗の珈琲店があります。お話が楽しく2時間もお店のオーナーとおしゃべり、これは飛騨高山で3代目、50年以上の歴史がある喫茶店でのお話しです。

始めに高山を少し知ってください。

以下は、出典 文化庁ホームページより https://jinya.gifu.jp/about/

高山陣屋のはじまり

江戸時代前期の飛騨国は、金森氏を藩主とする高山藩の統治下にありました。

元禄5年[1692]、江戸幕府の命令で金森氏が出羽国[現在の山形県と秋田県の一部]の上山に国替となり飛騨国が幕府直轄領になると、金森家家老の屋敷が当初の幕府の支配拠点となります。その後、金森家の下屋敷があった場所に移転し、そこに高山城三之丸より米蔵が移されました。

ここから、高山陣屋の歴史が始まります。

下屋敷[しもやしき]とは … 大名が常住する上屋敷以外に設けられた控えの屋敷

直轄領になった経緯

江戸幕府は、金森氏が6代に渡り支配してきた飛騨の国に着目し、元禄5年[1692]に直轄領としました。直轄領とは幕府が直接支配した土地のことを言い、幕府の重要な経済的基盤となりました。飛騨の地が直轄領になった理由は現在明らかではありませんが、飛騨国の豊富な山林資源が背景にあったと言われています。

高山陣屋の代官・郡代

江戸幕府が飛騨国を直轄領とした元禄5年[1692]から慶応4年[1868]に至るまでの176年間、高山陣屋において、25代の代官・郡代が幕府による飛騨支配のための執務を行いました。3代伊奈代官までは関東郡代との兼務、4代森山代官からは飛騨専任となったものの江戸に在住していたようです。高山に在住し直接執務を行ったのは、7代長谷川代官の時からでした。安永6年[1777]、第12代大原代官の時に、検地の実施による石高増加の功績で、飛騨代官は飛騨郡代へと昇格しました。

明治以降の高山陣屋

幕末には全国に60数ヶ所あったと言われている。代官・郡代所の中で、当時の主要建物が残っているのは、この高山陣屋のみです。昭和4年1929]には、国史跡に指定されました。

高山陣屋は明治以降も飛騨の行政の中枢であり続け、昭和44年[1969]まで県事務所として建物が利用されました。県事務所が移転したのを機に、高山陣屋を江戸時代の姿に復元し一般公開するための整備事業が行われ、平成8年[1996]、26年あまりの歳月を経て
江戸時代の姿が再現されました。

〒506-0012 岐阜県高山市八軒町1-5 高山陣屋管理事務所

ここまで

 

さて、高山の古い街並みを歩くと酒屋(酒蔵)さんが多いことに驚きます。今は、10件ほどの酒屋さんがあるそうですが、当時3万石ほどしかお米が取れなかったこの地域にどうして、酒屋さんが多いのかを喫茶店のマスターに聞いたところ楽しそうに話してくれました。

寒さの為あまりお米は取れませんが、飛騨は山国ですから、豊かな森林があり優れた木こりや大工さんがたくさんいました。奈良や京都へ出掛けて1年間、宮殿や大寺院を建てる仕事に従事したということです。その名残として、奈良県檀原市には、飛騨町という当時、飛騨からの大工さんたちが住んでいた所がそのまま町名として残っているそうです。

“飛騨の匠”という言葉がありますが、飛鳥時代のころから奈良の都に赴き、宮殿や寺院の建築などに尽力した飛騨の木工職人たちの総称です。その当時、根付などで技術を競い、付けて歩くことで仕事を受けていたとか・・・。

この人たちが、出稼ぎに行きそのお金で、北陸などからお米を買ったそうです。しかし、お米が腐ったりするので保存用にお酒にしたというのが始まりだとか・・、街の重鎮さんがコーヒーを飲みながら話してくれるそうです。また、タンクローリーで灘や伏見にもお酒を卸していたとか、子供の頃にお酒を運んでいくタンクローリーを見たことが記憶にあると話されていました。

そんなお話を聞いてから、高山の古い街並みを改めて歩くと飛騨高山がより身近な存在になりました。実は、日常の社内のコミュニケーションでも同じことが起きたりします。それぞれの知らない部分を聞いたり、話したりすることで距離感が縮まることに繋がります。

お互いを知ることで距離感が縮まるこのコミュニケーションについてのお話は、「ジョハリの窓」と言われ、1955年にアメリカの心理学者ジョセフ・ルフトとハリー・インガムが「対人関係における気づきのグラフモデル」を発表。後に2人の名前を組み合わせた「ジョハリの窓」と呼ばれるようになります。今でも自己分析をおこなう際に心理学モデルのひとつ使われています。「自分から見た自分」と「他人から見た自分」の情報を切りわけて分析することで、自己理解をおこなうというものです。

「今まで隠していた自分」がオープンになったこと(今回は知らなかった飛騨高山の歴史を知ったことで飛騨高山との距離が近くなる)で相手との距離が近くなり、信頼関係が強くなったりします。

社内のチームワークや人間関係においても同じことが言えるということです。是非、参考にしてみてください。

 

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